東町通りと西町通り
東町通りと西町通りの堺は「大名(おおな)通りとか大名(おおな)道」と呼ばれていたそうです。
伊勢屋商店と松野屋(岩瀬)さんの間の道です。
ゆうげの城から殿様が御獄道を下り、降りた所が新屋敷。現在の「家の田踏切」を超え、まっすぐと海の方向に向かう道がその道になります。
最近聞いた話ですが、西町と東町は仲が悪くよくケンカをしたそうです。
興津のお祭りは毎年10月に開催されますが雨が多く。
「戸立てまっち」と呼ばれるほどです。
ケンカの原因は、どちらが言ったか分かりませんが、雨が多いお祭りの日にちを変えようと提言しても一方がうんとは言わず、しっくりいかなかったと言うことです。
この話は、「興津のへえ!!」の番外編ですね。
こんな面白い話があったら教えて下さい。
守谷からトンネルを過ぎ興津に入ったと想定して下さい。
すぐに信号がありますが、そこの右側一体が王子になります。
左側が家名になり、どちらも興津館のところの東橋まで続いていきます。
王子は元の畔田スタンドの後ろ側の細い道をたどって、東橋までの範囲になります。家名は天徳山までの一帯が範囲と言えます。
興津駅から守谷方面に向かい、先の信号までの一方通行の路は長網になります。
東橋から左右共に東町通りとなり、二つ目の信号を過ぎた辺りからやはり左右共に西町通りになります。
駅から来ると、梅本そば店を右折すると、左側は先ほどの東町通りですが右側は家ノ田になります。
後ろを振り向くと、興津駐在所が有りますが、そこも家ノ田になります。
家ノ田は長嶋医院を超え、そのまま線路伝いに延びていきます。
家の田踏切を超えると新屋敷に入りますが、すぐ右折して善栄寺に向かって横須賀になり、善栄寺を超えて平田になります。
それに沿って、山側に下大谷、御獄堂、焼山、杉谷、竹谷、上神田と続き、上神田が守谷との堺になると思われます。
杉谷、竹谷の奥に要害があり、その奥に上大谷と井戸沢がありますが、上野地区に近い所になります。
さて、行川に向かって行きますと、西町通りを過ぎると、室山整骨院の信号は左が中村、右は線路を越えて妙覚寺の奥まで土井口になります。
まっすぐ進み、中学校入口の歩道橋辺りは要子庵になります。右側の中学校も要子庵になります。バイパスには要子庵トンネルがあります。
要子庵を過ぎ、右に次郎間、左に塩田を過ぎると、苗代に入りますが、興津小学校の正門入口あたりになります。
板取、新虫から行合を抜けて、行川に入ります。
その間の左側に、魚協方面に港。磯が大保。その裏側はほとんど山ですが、行川に向かって新通、梅ヶ谷、新虫谷、川ヶ谷があります。
逆方面になりますが、行川からバイパスで興津方面に向かいますと、折掛場、岩呑谷、細尾、藤之木、暮切場、要子庵谷、要子庵と続きます。細尾トンネルと藤之木トンネル、要子庵トンネルがあります。
今のミレーニアになる久保山台は、久保山、久保山台、小家ノ谷、長谷、細川、実谷、北谷が集って構成しています。
久保山台から山に向かって、上舟木谷、下舟木谷、経仏、有岐沢、清別当、山彦、名之内、と続いています。上野との堺になります。
久保山台と中学校の間あたりに、関の台、海老入、大埋田、家の谷がありますが、もう感覚でしかわかりません。
久保山台と行川、大沢との間に、曲り谷、谷口、寺尾、奥ノ谷があります。
家名 王子 長網 長網谷 平田 下神田
上神田 竹谷 杉谷 焼山 横須賀 新屋敷
御嶽堂 要害 家ノ田 下大谷 山彦 名之内
上大谷 井戸沢 土井口 要子庵 要子庵谷
家ノ谷 清別当 奈岐沢 大埋田 経仏 海老入
塩田 次郎間 苗代 平ノ台 藤之木 暮切場
関之台 長谷 下船木谷 上船木谷 久保山 北谷
久保山谷 実谷 奥谷 寺尾 小家之谷 曲り谷
谷口 細尾 板取 新虫 岩呑谷 行合
折掛場 川ヶ谷 新虫谷 梅ヶ谷 通り山
新通 大保港 中村 西町通 東町通 細川
勝浦市史 通史編 参考
