2013 興津小学校 平成25年度 学校要覧より   

学校教育目標
 確かな学力・豊かな心・健やかな体を兼ね備えた
      ふるさとを愛する興津っこの育成

沿革の概要
明治07年02月 興津妙覚寺遠成坊に開校
明治08年04月 妙覚寺東隣の校舎新築
明治20年04月 興津尋常小学校と改称
明治23年04月 町村制実施により清海尋常小学校と改称
明治29年07月 高等科併置、清海尋常高等小学校と改称
大正03年04月 現校地に校舎新築し、移転
大正10年01月 興津尋常高等小学校と改称
昭和16年04月 興津国民学校と改称
昭和22年04月 興津町立興津小学校と改称
昭和30年02月 町村合併により、興津町立興津小学校と改称
昭和32年12月 校地の拡張(約1,000u)
昭和33年10月 市制施行により、勝浦市立興津小学校と改称
昭和40年04月 特別支援学級(知的障害)開設
昭和48年04月 特別支援学級(言語障害)開設
昭和50年12月 児童通学路完成(トンネル)
昭和52年07月 新校舎完成
昭和58年03月 屋内運動場完成
昭和61年06月 ランチルーム設置(普通教室の余裕教室を転用)
平成11年09月 コンピューター教室設置
平成17年08月 コンピューター入替(15台)
平成21年04月 行川小学校を閉校し興津小学校に統合
平成22年11月 千葉県教育研究会造形教育発表大会公開授業
平成23年12月 学校施設耐震診断
平成24年04月 青少年赤十字研究推進校(3ヶ年)

学年男女別児童数


1年生  男 2  女 8   合計10名
2年生  男 8  女 5   合計13名
3年生  男10  女 5   合計15名
4年生  男 6  女 4   合計10名
5年生  男11  女 6   合計17名
6年生  男55  女 8   合計13名

合計   男42名 女36名 総合計78名


地区別【番組別】児童数

地区・番組 1年 2年 3年 4年 5年 6年 合計

 1      2  1   3      2   1  9
 2      3  3       2         8
 3                           0
 4                           0
 5                    1   1  2
 6         1          1      2
 7                           0
 8                    1   1  2
 9      1      2   1  1   2  7
10      1  6   7   5  4   3 26
11                    2      2
12             1             1
13      1                    1
14                        2  2
浜行川    1  2   1   1  3   3 11
大沢                1  2      3
区域外    1      1             2

合計     10 13  15  10 17  13 78

10番組にミレーニアのこども達を含む
3番組から8番組までの表通りに合計6人の子供達しかいない現実をどうとらえるのか

興津小学校の1年間
主な行事予定

 
1学期
4月 着任式・始業式・入学式
   住居確認・通学路安全点検
   健康診断・身体測定
   避難訓練(地震・津波)
   1年生を迎える会
5月 1・3・5年知能検査
   1・2年生活科校外学習
   勝浦市教育委員会学校訪問
   避難訓練(火災)
   3・4年社会科見学
   春季運動会(引き渡し訓練)
   郡市陸上競技大会
6月 交通安全教室
   PTA奉仕作業
   5.6年薬物乱用防止教室
   PTA廃品回収(興津地区)
   避難訓練(不審者)
   東上総教育事務所長訪問
   勝浦市小中学校音楽発表会
7月 期末保護者会・授業参観
   海岸清掃・砂の芸術
   個人面談
   PTA廃品回収(浜行川・大沢地区)

2学期
9月  避難訓練(地震・津波)
    6年モアレ検診
    5.6年社会科見学
10月 4年生活習慣病検診
    PTA奉仕作業
    PTA廃品回収(興津地区)
    1.2年生活科校外学習
    地区ミニバス・サッカー大会
    授業公開日
    3・4年社会科見学
11月 就学児健康診断
    新体力テスト
    避難訓練(火災)
    授業公開日
    修学旅行(鎌倉・箱根方面)
    砂浜マラソン大会
    6年ゆめ・仕事ぴったり体験
12月 全校バイキング給食
    期末保護者会・授業参観
    5・6年租税教室

3学期
1月  校内書初席書会、校内書初展
    5・6年スキー教室
    6年興津中学校入学説明会
    授業公開日
2月  授業参観・ミニ集会
    PTA廃品回収(全地区)
    新入学児童体験入学
    学力検査
3月  6年生を送る会
    期末保護者会・学級懇談会
    卒業証書授与式、修了式


日課時刻表

      月     火     水     木     金
08:10
     朝ドリル 全校図書 朝ドリル 全校図書 朝ドリル
08:20
         朝 の 会   (健 康 観 察)
08:35
      1      1     1      1      1
09:20
              休           憩
09:30
      2      2     2      2      2
10:15
     休憩 ぃきぃきタイム 休憩 ぃきぃきタイム 休憩
10:35
      3      3     3      3      3
11:20
              休           憩
11:30
      4      4     4      4      4
12:15
              給           食
13:00
              昼     休     み
13:20
              清           掃
13:45
      5       5     5      5      5
14:30
     帰りの会  休憩   休憩   帰りの会  休憩
14:40
     14::50     6     6     14:50     6
15:00
     5校時の授業           5校時の授業
15:25  クラブ   帰りの会帰りの会  委員会 帰りの会
     職員会議             代表委員会
                         個別指導
15:45
      課外活動 15:30〜16:10   集団下校15:10
下校          16:15       職員研修15:15

興津保育所(勝浦市立興津保育所)    勝浦市興津45番地

 興津保育所が平成25年3月22日をもって休所となりました。
 昭和30年から58年の歴史に幕がおりたことになります。

 最後の「みどり組」卒園児は11名。第2660号で終りました。















 平成23年3月11日の東北沖の大震災と津波。
 当日興津保育所の園児は裏山にあります目黒区の学園施設に逃げ込みました。
 担当の職員は大変苦労したと聞いています。

 いつ起きるか分からない災害のため、4月より高台移転の理由で上野保育所に市の準備したバスで通うことになります。

 海辺にあった、鵜原保育所と東(豊浜エリア)保育所も3月で休所となります。

 行政上は、保育所は学校の扱いではありませんが、我々にとっては学校と同じです。
 簡単に整理しておきたいと思います。

 沿革 

昭和30年10月10日 創立
昭和30年10月16日 開園 興津保育園と称する。
昭和30年11月11日 保育園として県知事より認可を得る。
             定員109名で発足。
昭和32年 2月 1日 興津保育所と改称。
昭和35年 9月10日 増築増員申請する。
昭和35年10月 1日 定員143名の認可を得る。
昭和48年 3月13日 改築のためとりこわし。
昭和48年 7月15日まで 興津公民館に於いて保育。
昭和48年 7月11日 完成
昭和48年 8月22日 竣工式
昭和48年 9月 1日 定員150名の認可を得る。
昭和60年 4月 1日 定員120名に内容変更をする。
 
 その後は大きく変わることなく推移。

 尚、跡地は国有財産であり、今後の用途は今のところ不明。
              
                          平成25年3月25日掲載

平成25年(月)4月1日16時15分ころかな。
 送迎バス初日。上野保育所より無事到着。




























興津中学校

昭和22年(1947)5月10日、興津町立興津中学校は興津小学校の6教室を借りて開校した。
発足時は、生徒数260名の6学級であった。
初年度の卒業生は男子5名、女子15名であった。

昭和23年には3教室を小学校へ返した。そのため不足した教室は妙覚寺にあった日本大学海浜学校と千代田臨海学校を借用して授業を行うことになった。

昭和25年度には、1年生が1学級増になった。そのため妙覚寺の本堂まで教室として使わねばならなくなった。
中学校の新校舎は昭和25年2月に着工し、同年8月末に完成したので小学校の3教室と妙覚寺の本堂、千代田臨海学校は返却した。
しかし講堂兼用の音楽室と3教室が未着工のため、日本大学海浜学校は、引き続き借用して1年生が使用することになった。

昭和27年3月、4教室完成。昭和27年度の「学校沿革誌」には[長年の懸案であった校舎の方は完成し本年は内容充実に邁進すべく教育計画の一切を樹立した」と記されている。

千代田臨海学校仮校舎の一端をみてみよう。
妙覚寺庫裡の2階にあった千代田臨海学校は、ついたてで仕切って普通学校として使っていた。教室には裸電球がひとつ。雨がふると雨戸を締めた。雨戸を締めないと雨が教室に入ってくる。教室が薄暗くなると授業は中断。先生お得意怪談話が始まる。すると隣りの教室も静かになってしまう。教室の上はあいているし。ついたては薄い板張り。
おのずと怪談話は聞こえてくる。しかも場所はお寺。最高潮に達すると先生の大きな声で驚かされる。またそれがおもしろい。雨の日は楽しみな教室であった。

勝浦市史通史編 参考
興津小学校

明治7年(1874)2月、妙覚寺付属の遠成坊を借用して教場にあて、房州
の元花房藩士、押田芳麿を教員として招き開校した。
生徒数は49名であったという。
その後、生徒数が増加し、校舎が狭隘となったため、翌年4月当時の学事事務係、西川幸七・塩谷瀬平衛及び戸長数馬源五飢右衛門の尽力により、妙覚寺東隣りの空地に校舎を新築した。

明治14年(1881)1月3日夜、近隣に火災が発生し、校舎は類焼、書籍、器械等ことごとく焼失した。
そこで、鹿島神社の前殿及び妙覚寺を借用して教場に当てたが、多人数の生徒の収容に困難を極めた。

明治16年(1883)3月、校舎再建の話が起こり、建築委員として選ばれた栗原紋蔵・斎藤長三郎・三次平七、及び村総代兼学事事務係渡辺喜六の肝いりで寄付を募り、それに、村共有金等も合わせて新校舎を新築した。

明治18年には更に増築した。

明治19年4月現在の生徒数は62名であった。

明治22年4月、町村制が実施されて、守谷村、大沢村、浜行川村、鵜原村、興津村が合併して清海村となったため、興津尋常小学校を清海尋常小学校と改称した。)

明治23年、生徒数は更に増加し、校舎が狭隘となったため、校舎背後の妙覚寺所有の畑地を借用し、校舎の増築ををした。
そのときの生徒数は236人であった。

明治29年(1896)9月には高等科を併置し、清海尋常高等小学校となった。

明治44年(1911)校舎の老朽化、狭隘化が進んだため校舎改築をすることとなったが、竣工したのは大正3年のことであった。

大正3年(1914)新校舎竣工

大正10年(1921)興津町就学歩合99.75%

昭和16年(1941)国民学校となる

昭和22年(1947)尋常科を興津町立興津小学校とした
興津の学校